9月の東北まわり1

投稿日:2011年9月17日 投稿者:sot

■気仙沼から田老、宮古へ

 

気仙沼の県の農業振興局の方と打合せをします。気仙沼の農産物をソウルオブ東北の活動とコラボできませんかというお話でした。気仙沼は漁業だけでなく、農業も大変な被害を受けていて、まずはJAの立て直しから始めなければならないとの事でした。漁業も農業も大きな仕組みが変わる時だと思っています。もっともっと、事情をお伺いしないと先には進めないので、また次の機会に更にお話を伺うこととしました。この日は、気仙沼のスローフード協会の方にも会う約束をしていましたが、高速道路の事故等で時間がなく、電話でお話をさせてもらいました。

 

気仙沼の港の問題はとても深く、あまりにも微力な自分の力が情けなく思えます。しかし、気仙沼の方を応援することはできます。なんとかしたいと思うばかりです。気仙沼の港は津波による重油の流出や下水の設備破壊で、水質が落ちています。港の復興はあるのか不安になるとおっしゃっていました。それと震災直後はボランティアの方々で沢山の人が気仙沼に来ていましたが、今は一段落ということで、人が減っているのです。震災が忘れられたのかと不安に思うそうです。私たちができることはなんでしょう。気仙沼の声を伝えることではないか、、そんな思いにかられつつ、次の待ち合わせ場所の盛岡に向かいます。

 

これから仮設住宅の現状を伺うために、田老地区に向かいます。田老地区は、津波対策が優れていることで有名でした。二段構えの防潮堤がある町です。しかし、今回の津波の破壊力はその想定を遥かに超えてしまいました。二本の防潮堤は見事なまでに打ち砕かれていました。皮肉なことにこの二本の防潮堤のつくりがさらに津波の力を倍加させてしまったそうです。また高台に逃げるための放射線状の道が水の流れ道になってしまったことなど、人の考えを遥かに凌ぐ津波の力になんの手立てもなかったことでしょう。

 

そんな田老ですが、今回仮設住宅で地域のまとめ役をされている女性にお会いしました。彼女の家には、沢山のお針仕事がありました。帽子、懐紙入れ、バック、携帯入れ、田老の仮設住宅の方々が作られたものです。明日のバザーに出すそうです。小針仕事を教えてくれる先生がいて、皆さんに指導してくれたようです。帽子も素敵にできていました。こうして地域がまとまりを持ち始めてくれているのはとても嬉しいです。また、新しいコミュニティが生まれる事で、心も安らぐことでしょう。
そこで、料理教室はどうでしょうと聞きました。そしたら、それは大歓迎と言って頂きました。みんな今は食事を与えられることだけでなく、参加したいそうです。そしてそれを生活に役立てたいそうです。私の企画に仮設住宅のママファクトリーという企画があります。みんなでクッキーをつくって売ることです。そうすれば少ないながらも収入が得られる事になります。そんなことも提案しながら、沢山のお話を頂きました。
まずは、この小針仕事の営業をさせてもらうことにしました。
話が弾み過ぎて、何時間も過ぎてしまっていました。このあとは宮古に向かいます。もう夜の9時ごろです。

110917_tarou↑丁寧に作られた田老の小物たちと、10年ほど前から制作されているあんどん「夢灯(あか)り」(左下)

 

次は、宮古のお寿司屋さんに行きます。この間、震災で店が壊れてしまい、私が有田の窯元さんから集めたお皿や小鉢を青空市で差し上げた方のお店に行くのです。店は再開され、宮古の飲み屋さん街は、少し元気になったように思えました。予定より遅くなってしまいました。店に入ると「よぉ!」と声がかかります、楽しみにして、待っていてくれたのでした。鰈の煮付けやら、ほやの刺身に塩漬け。どれもが新鮮で美味しいのです。夜中まで話はつきません。これから宮古はどうしたらいいと思うのかと聞かれました。とても難しい話です。でもこれからは、皆が立ち上がるために、応急的な活動は必要ですが、根本的には時を待つしかない現状もあります。その間に沢山の話し合いをし、勉強をしなければなりません。以前にもどすことではなく以前より以上の宮古にしていかなくてはならないのです。魚のブランディングもしなくてはならないし、加工品も充実させることが必要です。

 

「おっ、宮古に岡部さん住んでくれないか」とお父さんに言われました。ほんとうにそこまでしてあげたい気持ちです。「また、すぐに来ますよ。」と返事をして、夜中の二時半に店を出ました。少しづつ東北に知り合いが増えていきます。

 

明日は、山田町から釜石に向かいます。(代表 岡部 泉)

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