東北考

投稿日:2011年9月27日 投稿者:sot

■民間がするべきこと

 

早朝、盛岡に向かいます。県庁での打合せがありました。打合せの前に岩手の復興情報を見ました。岩手県の避難所には、もう4人の方しかいらっしゃいません。ほとんどの方が仮設住宅に移られたようです。宮城とは異なり、岩手県の仮設住宅、がれきの撤去などは素早い速度で進みました。

 

しかし仮設住宅にも格差があり、家は流されたけれども貯蓄があった人、貯蓄はなくても仕事がある人、そのどちらも無い人。また、家はあっても仕事がなくなり義援金も受け取れなかった人。様々な条件の方がいます。いずれの方もこれからのことを不安に思っている事は同じです。生活条件への不公平さについては、沢山の問題がありますが、私たちができることは何でしょう。

 

まずは忘れない事、関心を持ち続ける事が必要です。

 

被災地の復興の仕方も様々です。しかし、ただ単なる復興ではなく、未来が見える復興でなくてはなりません。私たちの活動「ソウルオブ東北」では、岩手について、県と共にできることは何かを考えました。生産者と消費者を料理で結び、地域への誇りと県産品への可能性を導き出すことです。宮古、山田町、大槌、釜石、大船渡。これら五つの港の生産者の支援は、その産物を広く知らせ、さらに価値をあげることです。食による産業振興の一歩です。この企画書をお渡しして検討していただくことになりました。

 

盛岡の打合せが終わり、一関に向かいます。
気仙沼のスローフード協会の吉田さんとロレオールの伊藤さんに会うためです。気仙沼の問題は岩手とはまた異なり、産物というより港そのもののインフラが大きな問題となっています。それと漁協、農協といったこれまでの第一次産業の仕組みそのものへの問題提議が行われているのです。
その事情をさらに詳しくお伺いしました。気仙沼は、大きな加工所が多くありました。それほどまでにこの気仙沼の持つポテンシャルは大きなものです。しかし、最初に訪れた時の衝撃は今でも忘れられません。巨大な船が陸地にまでごろっと投げ出され、大きな工場が大破していました。こんなことがあるのかと何度も心の中でつぶやいたものです。今は少しずつ整備されてきましたが、それは表面上のことであって、まだまだ問題は山積です。気仙沼に関しては、世界の漁業、農業の事情も加味して俯瞰的な見方が必要かもしれません。
我々、民間ができることは何でしょう。気仙沼にこそ力の小ささを思い知らされるのでした。

 

まずは、知る事から学ぶ事から考える事から始めたいと思いました。今度、また伺います。
(代表 岡部 泉)

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