ソウルオブ東北の新しいスタート

投稿日:2011年6月29日 投稿者:sot

■気仙沼から陸前高田へ あらためて、凄い

 

午後に気仙沼に着きました。気仙沼には初めて来ました。本当に凄いことになっていました。何もかも津波が連れ去ってしまった陸前高田にもびっくりしましたが、気仙沼は、大きな汽船がそのまま残されていたり、漁港であった姿が容易に想像され、津波の破壊力の大きさに圧倒されました。その中を通り、niccoさんが震災直後から炊き出しをしてくれている市民会館へ行きます。

 

110629_DSC_02971ここでは、学生ボランティアや企業ボランティアの方々が交代で食事をつくっています。そのマニュアルがしっかりしているので、上手に運営できているのです。私たちが伺った時も、学生さんばかり6人くらいが手伝いをしてくれていました。彼らは1週間ほどいていなくなってしまうのですが、社会勉強としてもとてもいい経験をしたことでしょう。

 

ソウルオブ東北のシェフたちもここ気仙沼をベース基地にして皆さんに料理を運んでいくことになるのです。今回はそのリサーチなのです。

 

市民会館の外にはお風呂が容易され、女湯、男湯と書かれた看板がありました。皆さん、タオル片手に生き返るぅと。気仙沼の気温も30度近いので、お風呂が一番のごちそうです。

 

■タカラジェンヌとともに

 

市民会館のボランティアの皆さんに挨拶をして、次は、niccoさんが主催しているタカラジェンヌさんの慰問公演先、陸前高田に向かいます。気仙沼から1時間ほどのはずですが、ナビが教えてくれる道ありません。ここ通れるのかなと疑問に思うような道を適当に辿りながら行きます。すこし遅刻をしつつもようやく陸前高田の老人ホーム高寿園につきました。すでに奥からは、「すみれの花」の清らかな歌声が聞こえてきます。この老人ホームはすこし海から離れた山側にあったのでひどい災害に会わず済みました。しかし、このすぐ麓は何もないがれき野原です。このがれきという言葉、被災された方にはとても辛く聞こえるそうです。がれきはもとは自分たちの家だったからです。なんと表現したらいいのかわかりませんが、本当にその通りです。自分たちの生活してきた歴史がそのままそこにまだ残っているのです。そこに家や家族や近所の繋がりがあったのです。そんなことも思いつつ、彼女たちの美しい歌声を聞きます。私は「ふるさと」という歌が大好きです。思わず一緒に合唱してしまいました。うさぎ追いしかの山、、コブナ釣りしかの川、、まさにこの歌は「ふるさと」のない私の幻想をうたっています。

 

タカラジェンヌさんたちは、その後、おばあちゃんたちの手をとり、お話をしてくれます。美しいということはそれだけで癒しです。美しい人、それ以上にやさしい人はそれだけで有り難いものです。歌や絵と同じように、美というものは言葉や時間を超えるもので、この世になくてはならないものです。

 

その後、再び移動。モビリアという緑に囲まれた公共施設へ伺います。この施設の隣に、仮設住宅が建設中です。このあたりには600人ほどの方がお住まいになるそうです。タカラジェンヌの歌が夕方の空にこだまします。

 

110629_1↑優しい笑顔のタカラジェンヌさん      ↑「陸前高田オートキャンプ場        ↑子供達にも大人気でした
                            モビリア」は当面仮設住宅地に

 

施設の状況も整っているので、館長さんに、ソウルオブ東北のキッチンカーでの料理イベントを許可をお願いしました。長期的なイベントであるというので、すぐに許可を出していただくことができました。これも、この施設とniccoさんが親しくしていただいていたことが助けになりました。こうして、ソウルオブ東北は、niccoさんとの協力体制をとりながら、ようやく東北での一歩を踏み出すことが現実となりました。

 

次はロレオールへと帰ります。もう「帰る」という言葉がぴったりするようになりました。伊藤さんに電話してご飯を用意してもらいます。今夜のロレオールは満席御礼です。

 

ロレオールには、我々、nicco&タカラジェンヌ組と生産者まわりをしてきた奥田組でそれぞれ12名ほど。そしてその他のお客様20名あまり。伊藤さんも忙しく立ち回ります。

 

今後のことなどを夜が更けるまで話し合いました。ようやくソウルオブ東北はスタートです。(実行委員 岡部泉)

 

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