気仙沼コンテナキッチン始動!

投稿日:2011年8月16日 投稿者:sot

■ようやくここまで来ました。今がスタートラインです。

 

8月11日、震災から5ヶ月がたちました。
何度も言い尽くされてきましたが、想定外の被害は日本人に、いや世界中の人々に衝撃を与えました。長い歴史の中で津波の被害に度々あってきた東北の人々にとっても、遥かに想像を超えるものだったと思います。そして、大きな黒い影を落とす原発の問題。私たちの手の及ばない問題が山積みです。
しかし、私たち一人一人が今、小さくとも出来る事を模索してきました。そして、見つけたのが東北の食を守るために、心をこめて東北の人々に料理を食べてもらうことです。そして、生産者を応援することです。大変だけど、これからも良い生産物をお願いしますと言う事です。
その思いのままに、5ヶ月。NICCOさんという大きな協力者を得て、ようやくNICCO気仙沼コンテナキッチンでの活動に至りました。

 

今回の参加者は、団長の村田氏、瓢亭の高橋氏、美山荘の中東氏、天喜の石川氏、むぎとろの黒柳氏、天ぷら小野の志村氏です。そしてサポートとして小暮氏が参加し、カメラマンは越田さんが同行してくれました。我々スタッフも、ここ数日間遅くまで準備に明け暮れました。しかし、感慨はひとしおです。

 

一関で皆、合流です。初めて被災地に入る方もいますが、それはプロです。堂々としたものです。コンテナキッチンで、一勢に作業が始まります。狭いコンテナの中に六人が、素早い手付きで下ごしらえをしていきます。こういう風景を見ると微笑ましくなるのです。現場に入ると料理のジャンルを超えて皆チームとなるのです。汗だくだくではちまきをして頑張っています。

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↑コンテナ内の様子

 

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↑有名シェフが協力し合って調理して下さいました

 

私は、料理を出す仮設住宅で皆がくる前にテーブルやらのセッティングをします。すでに天ぷらチーム(八丁堀の志村さんと京都天喜の石川さん)は気仙沼市民会館の軒下で、天ぷらの準備が整っていました。この市民会館は、以前にもお伺いしました。NICCOさんが震災後、ずっとボランティアの人達と炊き出しを続けているところです。今もここの避難されている方々がいらっしゃいます。今日は、ここの皆様に天丼をお出しします。キス、メゴチ、車エビ、シシトウを乗せます。天ぷらチームはすでに汗だくで天ぷらを揚げ始めました。

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↑調理を進める志村シェフ

 

天ぷらチームに後はお任せして、次は日本料理チームのセッティングをしなければなりません。集会場のあるところは、その軒下を借りてテーブルを置きます。集会場のない仮設住宅は、道路の突き当たりの空き地をお借りします。ばたばたしていると、「今日は何が始まるの」と住人の方が尋ねてきます。「今日は、京都、東京から料理をお出しするために来ました」「鯖寿司や鰹のたたきもあるので是非来て下さい」とお誘いします。そんな会話を皆さんとしていると、いよいよみんなを乗せたワゴンカーが到着しました。

 

2チームに分かれてもらい、鰹たたきチームと田楽チームに分かれます。鰹たたきチームは、村田さん、中東さん、下口さん、野永さん。田楽チームは、高橋義弘さん、黒柳さん、小暮さん。私は田楽チームをお手伝いします。段取りの説明をしているうちに、列が出来始めました。大変だ、急がなくては。田楽と鯖寿司を盛りつけ、鳥団子と冬瓜の汁物を温めます。生姜を添えて完成です。どんどんとお配りします。料理人さんたちは手際良く、落ち着いて対応してくれています。おひとりずつにお声をかけて出してくれています。本当にプロだなと思うのです。私が炊き出しに参加した時はこんなに落ち着いた気持ちにはなれなかったと思います。ただおたおたしたことを思い出します。

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↑長蛇の列ができました

 

ただ、困った事に沢山の方が来て下さったのはとても嬉しいのですが、鯖寿司も田楽も残りわずかになってしまいました。これは少し離れたところでがんばっている天ぷらチームに応援を頼むしかありません。避難所には配り終わったところと判断し、残りの魚を全部揚げてもらって天丼を出してもらうことにしました。出来上がり次第、坂をのぼったり降りたりと、天丼を運びます。天丼が出来るまで皆さん、辛抱強く並んで待っていてくれました。お待たせしてすみません。でもこんなにも。待って頂いて有り難いという気持ちです。最後はキスやメゴチの天ぷらをほぐして、究極の天むすを作りました。それでも、足りないくらいでした。あるご夫婦は私たちは二人で一つを食べるから、次の方にどうぞと言ってくださいました。こういう時にほろりとした気持ちになります。

 

私がどうして、この活動を続けられるかというと、いつもこのような人の温かな気持ちに触れることができるからです。忘れかけていた心の豊かさを感じることができるからです。かえって勇気をいただいているようです。

 

デザートのよもぎ団子も配り終わったころ、夕暮れの空に花火があがりました。海岸であげている花火です。まだ回収できていない船や倒壊した家がまだまだ沿岸にはあります。花火が希望の光のように思えます。復興へ願いを込めてみんなで花火を見上げます。

 

こうして、気仙沼のコンテナキッチンのこけら落としの料理出しは終わりました。コンテナキッチンをきれいに掃除して一関へと戻りました。本当にお疲れさま。

 

(実行委員 岡部泉)

 

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↑シェフ自ら最後のゴミ出しまでして下さいました

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