東北シェフの活動2

投稿日:2011年5月17日 投稿者:sot

■点と点をつなぐ

 

かとうレポート4

 

伊藤勝康(かつやす)シェフの店は岩手県の内陸南部。
ここから宮城県北を含む沿岸の、各市町村の避難所までは
1時間半〜3時間の距離で、
全国から支援に集まる料理人達の中継地点となっています。
特に岩手は広大でしかも山がち、移動時間がかかるのです。

 

敷地には広い駐車場があり、
夜を徹して東京からやってきた支援者は深夜に到着後
車の中で仮眠をとり、昼食または夕食の炊き出しに備えます。

 

震災から日が経つにつれ、
料理人のネットワークは被災地ともようやくつながり始めました。
伊藤シェフの炊き出しも現地のニーズに合わせて役割を変えつつあります。

 

4月25日。
伊藤シェフが向かったのは大槌町(おおつちちょう)です。
いつもは完成の直前まで調理したものを持ち込むのですが、
この日はひき肉を持っていきます。

 

伊藤シェフは、避難所の大槌高校で炊き出しの指揮を執っている
料理人がいることを、地元の新聞記事を見て知りました。
東京で20年間修行をした後に生まれ故郷の大槌で割烹「岩戸」を経営していた佐藤剛シェフです。

 

他の炊き出しに行った際に足をのばし佐藤シェフを訪ね、
いろいろと現地の様子を聞きました。
そこで伊藤シェフは、ハンバーグを作ることを提案しました。
新聞の取材で大槌高校に避難していた子供たちが、
「ハンバーグが食べたい。」と答えていたのを読んでいたからです。
後日、炊き出しの日にちを決め、その日に被災地に届いていた食材の中から
タマネギのみじん切りを炒めてくれるように伝えます。

 

4月も半ばとなると被災地に配給される食材もずいぶん増えてきました。
しかし野菜や加工品が主で、保冷設備がほとんど無いことから
生の肉や魚、青菜はなかなか入ってきません。

 

伊藤シェフは地元の「もーもー母ちゃん」(牛飼いのお母さんたちの会)に肉を提供してもらい、避難所の大槌高校で準備している佐藤シェフのところへ。

 

ここでも地元のお母さんたちが交代で佐藤シェフの指示のもと手伝いをしていました。
佐藤シェフとお母さん達と、避難所にいた高校生達も交えてみんなで一緒に
ハンバーグ作りが始まりました。

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伊藤シェフ(左から2人目)と大槌の料理人佐藤剛シェフ(左から4人目)

 

この日は避難所220人前と近隣の在宅非難2箇所分120人前。
肉を一緒にこねながら、あんなことがあった、こんなことが大変だった、
といったことがお母さん達の口からぽつりぽつりと語られました。
時に涙もあふれ、誰もがまだ心の整理ができていない様子でした。
しかしそうした思いを受け止めてくれる人もいないのです。
炊き出しのスタッフが大事な聞き役となりました。

 

料理人の佐藤シェフは、自身で4代目の店と自宅を津波と火事で失い、この大槌高校で避難生活をしています。
調理場で300人分の3食の食事をまかなうリーダーをつとめています。
当初は1000人分を作っていたそうです。
限られた食材をやりくりしながらの苦労と、
自身の店の再建への不安を抱えながらも、
前向きな思いを語ってくださいました。
「今まで商売でやっていたので原価のことなどばかり考えていた。
避難所で炊き出しをする中で、
幅広い層の人たちに美味しいものを食べさせたい、
という料理人の一番の目的を感じることができた。
今の方がやりがいを感じています。」(佐藤シェフ)

 

「避難所と在宅非難、そして仮設住宅への転居。
被災地の状況は日々変わっていき、それに伴いニーズも変化しています。
変わらないのは食べ物が偏っていて栄養が不足していること。
いずれ自衛隊の方が行っている炊き出しもなくなる日が来るでしょう。
ご年配の方が多い被災地の現状では移動手段がなく、
商店も流されて買い物もできない状況。
そんな中でこれからどういう支援の形を作っていったらいいのか、
考える日々です。」(伊藤シェフ)
(かとう)

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