経済資源

人口動態

平成26年2月末現在の大船渡市の人口は39,090人、世帯数は14,812世帯である。
三陸沿岸地方の人口は1960年代以降、全体として減少傾向にあるが、大船渡では、大型港湾整備事業の進行と臨海地区の工場立地を背景に、2002年時点では大きな人口減少率を示してはいなかった。平成23年(2011)年は1,380人の減少であり、前年の175人、平成24年の225人の減少と比べ、東日本大震災による甚大な被害を見ることができる。

産業相構成、産業人口

大船渡市の産業は、自然資源と流通基盤を活用した水産業、工業などを中心として発展している。豊富な石灰石を原料とした窯業のほか、ワカメ、カキ、ホタテなどの養殖漁業や、大船渡魚市場に水揚げされる水産物を活用した水産加工業などが盛んである。

・就業者数

第1次産業:19,82人(H22.10.1)
第2次産業:5,449人(H22.10.1)
第3次産業:11,214人(H22.10.1)
事業所数:2,734事業所(H21.7.1)
農家数:1,247戸(H22.2.1)
漁業経営体数:877経営体(H20.11.1)

産業ごとの特性

【水産業】

水産業は主要な産業のひとつ。市の沖合は寒流と暖流が交差する好漁場で、「世界三大漁場」といわれている。リアス式海岸で水産養殖漁業に適しており、古くからノリ、カキなどの養殖漁業がなされ、特にワカメ類の養殖が普及した。
近年の水産業を取り巻く環境は、資源の減少や漁獲制限、輸入水産物の増大による魚価の低迷、漁業就労者の減少と高齢化、高次加工への立ち遅れなど大変厳しい状況にある。

【工業】

大船渡市域には、約4億トンと推定される豊富な石灰岩が埋蔵されており、東北で一番の生産高を誇る秩父小野田セメント大船渡工場がある。また良港に恵まれ、工業用水が豊富で平坦地が多く、交通が便利であるなどの工業立地条件を備えているため、県内有数の工業都市となっている。大船渡港周辺は、昭和28年から始められた北上川特定地域開発事業により、臨海工業造成地区となり、盛川筋には86万㎡の埋立工事も行われ、工業団地が整備された。

道路、輸送

大船渡線の終点盛駅から、私鉄岩手開発鉄道が岩手石橋まで通じ、主にセメント原料の石灰岩を運搬している。また三陸鉄道南リアス線(盛-釜石間)と北リアス線(宮古-久慈間)が昭和59年に開通し、陸中海岸が鉄道で結ばれた。道路も国道45号線の改修工事など、交通網が整備された。
また、大船渡港は、大船渡港物流圏域の物流拠点として、県内貨物の約6割を取り扱う港湾であり、国においては本県随一「東北の拠点港」として、また岩手県においては、港湾ビジョンで「岩手県内最大の国際港」として位置づけられている。

観光

久慈市から宮城県気仙沼市に至る南北180㎞の海岸は、1955年5月(1964年と1971年に追加指定)に陸中海岸国立公園に指定された。豊かな漁場とともに、豪壮で変化に富むリアス式海岸の景観美で多くの観光客を集めていた。

【観光施設など】

・碁石海岸
1941年に国の名勝および天然記念物に指定
※雷岩…名のとおり波が打ち寄せると雷鳴にそっくりな大きな音が響く。これは巨岩の下に海食洞穴があり、波によって洞内の空気が圧縮されるために出る独特な音(残したい日本の音風景百選)

・珊瑚島
大船渡湾内に浮かぶ島で、国の名勝。標高28mの平らな島でアカマツ林に覆われる。

・千石船・気仙丸
江戸時代、千石船による海運網で経済は支えられていた。気仙地方は気仙杉や五葉松、赤松、けやきなどの良材に恵まれ、気仙大工や船大工の出稼ぎにより技術も各地から導入され、独特の技能として育まれてきた。この伝統ある船大工の技術を生かして復元建造した千石船。

・不動滝
高さ15mから流れ落ちる右側の滝を男滝、左側を女滝といい、その中間の岩窟に不動尊が祀られていることから不動滝の名で親しまれている。「岩手の名水二十選」のひとつ。

・三面椿
末崎町熊野神社境内にある樹齢1,400年の日本一の古木。神社の創建時、境内の東、南、西の三方に植えられたことから「三面椿」と呼ばれている。

・碁石椿園
碁石海岸、大浜を望み、ヤブツバキをはじめとした約230本のツバキを植樹。高台にある四阿からは椿と海岸の景観が堪能できる。

・世界の椿館・碁石
世界13ヵ国、約260種類もの椿を一堂に集めたツバキワールド。椿のほか四季折々の地域の花々も展示、販売している。

・長安寺
日頃市町に約900年前に建立された浄土真宗大谷派の寺院(京都東本願寺の末寺)。当時の建物は火災で焼失し、現在のものは後に再建された建物。山門は高さ20mの総ケヤキ造り、太鼓堂は約270年前、桃山建築の様式を取り入れて建てられている。気仙大工の精密で華やかな技術を見ることができる。

・長谷寺
坂上田村麻呂による伝承もあるが、946(天慶9)年に石山寺の淳祐学匠を勧請開山した以降が創建と考えられる。平安末期の作といわれる如来坐像と鎌倉時代作といわれる三躯の十一面間菩薩立像が県指定有形文化財である。

まちづくり構想

東日本大震災後、復興整備計画が進行中である。
<平成26年1月28日の計画書より>
・ 被災住居を低地から高台へ集団移転することにより、想定される最大級の津波(レベル2:数百年から千年に1回の確率で発生する津波)および高潮から人命や財産を守る。
・ 地域の地形特性を踏まえるほか、高齢化や人口減少等も見据えながら、コンパクトな集落づくりを進める。
・ 移転跡地(移転促進区域)は、災害危険区域に指定し、地域住民参加のもとに、水産業や農業の再生等地域振興につながる活用策と計画的な秩序ある利用開発を検討する。
・ 津波浸水リスクを十分考慮しながら、被災経験を教訓とした再生可能エネルギーの活用による地産地消・地域分散型エネルギー社会の構築を図り、災害に強い都市基盤の形成や地域特性を生かした産業振興を図る。
・被災した中心市街地においては、土地の嵩上げによって想定される最大級の津波でも浸水しない安全な宅地を確保するとともに、浸水が想定される区域についても、一時避難場所や避難路のほか、商業業務施設の早期再建の場となる拠点エリアを整備することにより、産業経済の復興を牽引する。