おむすび46 福留奈美先生

投稿日:2014年3月24日 投稿者:sot

第46回福留奈美先生 表ソウル オブ 東北

チーム おむすび 第46回料理教室開催   2014.3.24

 

第46回のチームおむすびは、 2012年1月の第4回チームおむすびで訪問した気仙沼総合体育館駐車場仮設住宅に

食物学の専門家である福留奈美先生とお伺いしました。

前回は特製デコレーションケーキをつくり大人からお子さんまでお集まりいただき大好評だったので、

今回自治会長さんから再度リクエストがあり開催させていただきました。

 

 

 

■開催概要

 

1.開催日時 :2014年3月24日(月)11時00分~

 

2.開催場所:気仙沼総合体育館駐車場仮設住宅

 

3.メニュー:海鮮やさい鍋、早採りわかめのうま味醤油がけ ※本枯節削り体験

 

4講師:食物学の専門家 福留奈美先生

 

5.主催:ソウルオブ東北

 

6.協賛:キッコーマン株式会社

 

 

 

今回の会場は、気仙沼総合体育館に隣接し、100世帯程の方がおり比較的大きな規模の仮設住宅です。

すぐ隣の大きな総合体育館(震災前に建設)は国体などが行われる場所で週末はさまざまな競技(バスケットボール、弓道、柔道など)が行われにぎやかな声が響きます。

その声援に負けないくらい元気で明るい自治会長の及川さん。

これまで150人前のカレーをふるまい住民をもてなしたり自ら率先してイベントを企画し、住民のためにあらゆる

活動をされています。

 

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日本食文化伝承への第一歩

 

今回はちょっとしたイベントを用意しました。それは、本枯節の削り体験です。

本枯節とは、鰹を茹で、燻して麹菌をつけてから1年ほど熟成させた鰹節で、上品な香りとうまみが特徴です。

今回一人で参加されたこの春中学生になる綾沙ちゃん。初めて見る削り節に興味津々で、先生や住民の方に教わりながら共同作業をされている姿はとてもほほえましい光景でした。

 

 

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削りたての鰹節の香りがふわっと辺りに広がり、削りたてを味見してみると品の良いすっきしとした味わいです。

今は家庭で出汁をとる機会が少なくなっていますが、日本が誇る食文化を大切に次世代に伝えていきたいものです。

 

 

今回のお鍋のテーマは「うま味(UMAMI)」です。 地元産の野菜、魚貝類をたっぷり使いおいしい出汁をとります。

 

 

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食材の準備が整ったら鰹節のお出汁の鍋でぐつぐつ煮て、良い香りに包まれながら皆さん待ち遠しい様子です。

出来上がったお鍋はまず、削りたての鰹節でとった出汁とたっぷりの野菜でシンプルに出汁の旨味を味わいます。「う~ん、甘い!」と感動の声。甘味すら感じられるうま味の詰まった良い出汁が出ています。

続いて、今が旬のタラとドンコを加え魚の出汁とのコラボレーションを味わい、最後に帆立、牡蠣、あさりの貝類を加え、野菜×魚×貝の旨味の相乗効果を味わいました。とろとろになったネギや大根の甘味と魚貝類の旨味が効いた出汁は格別でした。

 

 

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「こんなにたくさんの食材が入ったお鍋なんてめったに食べない!お腹いっぱい!」と皆さん夢中でほおばり、その表情から大満足の様子がうかがえました。

 

 

今が旬の早採りわかめは、福留先生オリジナルの出汁醤油で、シンプルにお刺身感覚で頂きました。シンプルに頂くことで素材の味の良さが引き立ち三陸の春の味を堪能しました。

 

 

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食事中、あちこちで方言が飛び交いリラックスして会話されている姿が印象的です。

「おごこ美味しいね!」という一言に思わず「おごこって・・・何ですか?」とスタッフの質問に、「お新香のことだべ」と優しく教えてくださり、その些細な会話から数多くの方言を教えてくださり非常に盛り上がり楽しいひとときでした。

(お新香は、一関市の生産者さんから差し入れを頂いたものです。)

 

ちなみに、「け」「く」という会話、皆さんわかりますか?

「け(食え)」「く(食う)」と、食卓で食べ物を勧めるときにごく普通に使われる会話だそうです。

またひとつ方言を学び、地元の方との距離が縮んだように感じました。

 

 

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気仙沼のあみもとあみちゃん

料理教室の後、気仙沼湾の佃煮屋さんに立ち寄りました。

幾艘もの漁船を率い魚を知り尽くした元・網元海の男、菅原啓さん、義子さん夫妻が営む(有) ケイは、1897年(明治30年)創業。

震災後最も早く復旧した水産加工場で、震災の時、佃煮に使っていた鍋が津波に流されず に奇跡的に残り、機械に頼ることなく手作りで生産していたので材料と人手がそろい次第すぐ復旧することができたようです。

復旧したことが地元の方の励みになり、目黒さんま祭など、首都圏で開催される物産市でも多くの固定ファンを獲得しているケイさんのさんま佃煮。

ケイさんで用いるサンマは水揚げ後すぐに氷漬けされ、マイナス40度で冷蔵されます。こうして鮮度を保ったサンマを下処理し、醤油・味噌をベースに、みりん・日本酒・生姜・唐辛子で味を整え、照りを出す水飴を加えてじっくりと愛情込めて煮込みます。 地元の味噌醤油醸造元「平野商店」が、化学調味料や防腐剤などを使用せずに仕込んだ味噌と醤油で、素材のうま味を手間を惜しまず引き出すケイさんの「網元逸品 さんまつくだ煮」は、海と共にある漁師町・気仙沼の心意気を示します。震災直後の売上から3年経った今では倍に増えたようです。

「津波に負けてはいられない。仕事は何より自分たちに力を与えてくれる!」と生き生きした表情で語ってくれた義子さん。趣味の絵描きが高じて今では自社のキャラクター作りから商品パッケージデザイン、地酒のラベルづくり、ポストカードも手がけ「気仙沼は元気でやってますよ」というメッセージを地元に、そして全国に発信し続けている姿は実にパワフルでした。

 

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義子さんの想いが詰まった手書きのお店のチラシ

 

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■東北の食を守ろう ~鰹節の歴史~

 

今回の料理教室で使ったお出汁に欠かせない鰹節。

その歴史について少しご紹介します。

 

鰹節のご先祖は「堅魚」

日本人と鰹節の付き合いは古く、文献の中で初めて登場するのが飛鳥時代です。西暦700年に制定された大宝律令に煮た鰹を干した「煮堅魚(ニカタウオ)」の煮汁を煮詰めて作った調味料「堅魚煎汁(カタウオイロリ)」、そして天日に干されて乾燥させた「堅魚(カタウオ)」というものが献納品として指定されていますが、この堅魚が鰹節の原型で、一説では鰹の漢字はこれに由来すると言われています。 天日に干して乾燥させただけの堅魚は、現在の鰹節とはだいぶ異なりますが、室町時代になると「四条流包丁書」という書物の中に「花鰹」の文字が出てくることから、このころには囲炉裏の上などに魚を吊るして焙り乾かし、それを薄く削った花鰹が一部の料理などに使われていたようです。

 

 

堅魚から荒節、そして本枯節へ

本格的な燻乾法を施した荒節が資料に登場するのは江戸時代、紀州(今の和歌山)の甚太郎という人物が製法を確立してからになります。そのころには、鰹節の需要は大いに増えており、各生産地より良い鰹節の開発を目指して改良を続けます。 土佐(今の高知県)では、カビを人為的につけることにより、悪性のカビの発生を抑制し、水分の除去・旨味の熟成を行う「カビ付け法」を開発。伊豆、そして焼津での改良を経て、明治の終わりごろまでには、現在の本枯節の製法がほぼ完成しました。

 

鰹と歩んできた日本の食卓

日本では、古代から室町時代までの間、「堅魚煎汁(カタウオイロリ)」が大変重要な調味料として多くの料理に用いられていました。その後、鰹節へと姿を変えて、食卓に残り続けた歴史を考えると、日本人の味覚は、鰹に由来したこれらの「うま味(UMAMI)」を常に求めてきたのかもしれません。 食生活が大きく変わった現在でも、鰹節は私たち日本人にとって欠かせない食材であり、これからもそれは変わることなく「うま味(UMAMI)」の原点として受け継がれていくことでしょう。

 

 

 

■今回のチームおむすび料理教室を終えて

 

求められる楽しい買い物の場

今回の仮設住宅は山を登ったところに位置し、住民の方は「買い物に行くのも不便」とお話しされていました。

スーパーマーケット行きの専用マイクロバス(9名乗り)も巡廻しているが、買い物時間が40分と決められていて、時間を気にしながらの買い物は楽しむことが出来ず、特に年配の方は時間がとても足りないと口々にお話しされていました。 生協などの移動販売も定期的に巡回しているが「買い物する時間を楽しみたい」というのが主婦の本音。そこで、例えば移動販売から少し展開した「移動型の道の駅」のようなマーケットを開催出来たら良いのではないでしょうか。地元野菜に力を入れている生産者さんも多くおり、それを求める消費者も多くいる、その仲立ちが今求められていて、そのようなマーケットを介して、人が自然と集まる場、食べ物を通じ人と人との絆をむすぶことにもつながるのではないかと感じました。

 

家族やご近所の楽しいコミュニケーションタイム

今回、平日というものありましたが、晴天の中仮設住宅では外に出られている方がほどんどいなく、仮設住宅の空き地で子供が何人か縄跳びをして遊んでいました。仮設住宅の多くは平らで広い土地、つまり震災前は学校や体育館があった場所です。そのため、子供が野外で 駆け回るような遊び場は減っているのが現状です。子供に限らず、震災前まではあったコミュニティや人とのつながりである集いの場「お茶っこ」という居場所が震災により崩れつつあり、近所の方との関係が以前より希薄になってしまっているのも現状です。 これまで地元で当たり前だった「ちょっとお茶でもしようか」とお茶を飲みながら会話に花を咲かせ、「絆やつながり」を持ち続けられるようなコミュニティの場が、3年経った今まさに求められていると強く感じました。

これからも、現地で求められていることに目を向け、耳を傾け、心を寄り添い、現地の方の笑顔と元気につながるように継続的に開催していきます。

 

 

 

 

 

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